今年の3月は私にとって
忘れることのできない月となりました。
父が亡くなり、
そして昨日、
大好きな志村けんさんが旅立たれました。
急なことで
それも志村さんのご家族は
私たち家族同様に、
病院に見舞うことが許されないまま
別れを告げることとなりました。
残された者は
自分自身でこの別れと向き合い、
納得させて前に進むしかないのです。
私はこう思うことにしました。
突然に見えた父の死も
父の魂が選んだのであれば
これが寿命だったのかもしれないと。
出不精だった父が昨年
何かにつき押されるように
西へ東へ出かけて
色んな人に会いました。
亡くなってから
色々なものを整理しては
全てきちんと終わらせていたことが多いことに
驚かされています。
大好きだった母に
別れも告げず、
最後に家を後にする時も
いつもの「行ってきます。後でね。」
がなかった父。
亡くなる3時間前に
私が持っていった
母から預かった手紙も
「後で読む」としまうように命じた父。
きっと父はわかっていたと思います。
母が何をしたためたのか。
読まなくても、彼女の考えていることは
父にはわかっていたと思います。
けんさんは
たくさんの人を笑わせて
幸せにした方です。
私の子供の頃も
どんなに8時が楽しみだったことでしょう。
何度も純粋なワクワクを味わい、
笑い、
大人になってからは
けんさんのプロフェッショナルな顔を垣間見て
心から尊敬していました。
父からもけんさんからも
たくさんの喜びを与えてもらいました。
あとはその経験を自分の人生に
どう活かしていくかです。
きっと喜びと感謝しか感じない場所で
二人は必ず私たちを見ています。
「おーい。いなくなってないよ。」と。
以前よりももっと繋がりを感じて
自分を幸せな状態に持っていけば
彼らとも会話ができるはず。
その状態を私は毎日
こうかな?これかな?
と模索するように生きています。
喜びと矛盾する寂しさの涙も
紛れもない今の本当の私。
幸せを感じて、
人の温かな心に触れて涙するのも
本当の私。
今は次々に感じる思いを
ひたすら見つめるように
そんな毎日を送っています。
父はもしかしたら
けんさんにも会えるのかな?
話もできるのかな。
そんなことを想像しながら今日は
スノーボールと言われるクッキーを
焼きました。
どうかお父さん、けんさん、
召し上がってください。
ありがとうの気持ちを込めて。